とても他人事のように思えず、つい紹介しました。
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どこら辺がどうかというと、「彼(下肢機能全廃:二十歳)の見えない心、それを理解しない周辺、
防御的退行に入って初めて彼の心の在りかを知る」という、”見えないがゆえに傷つけてしまう「残酷さ」”を感じました。
彼は彼なりに、自分のハンディを飲み込んだ上で社会に復帰しようと努力しても、病院から出た途端、強烈な「現実」を突き付けられる。
家族や友達、いわゆる「健常者」はその身に「ハンディ」を背負った経験が無いので、当然 彼の「つらさ」「苦しさ」「やりきれなさ」などの思いを到底理解できるわけが無いのだ。
ほんの数分前まで「健常者」だった人。大小の事故に関わらず身に降りかかる「ハンデ」。トラブルがどうのとは言わないが、数分後、「彼」と同じ境遇にならないとも限らない。
だから、境遇が変わっても、どんなに心が変わっても、同じ人間・これも人間として相手を考え、思い、可能な限り「心を共有」してほしい。そんなことを思ってやまない。
何やらとり止めのない話で恐縮です。ホント、そう思ったものですから。
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